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金 殿
金殿は昆明市東の郊外に位置して、明代創建の道教の宮です。市街区から七キロ離れています。全国の重点の文化財として広く知られています。ここで言った「金殿」は黄金で建てられた殿のことというわけではありません。銅で建てられたのです。
伝説によりますと、明代雲南省の地方長官その人は道教を信じていました。ある夜夢で道教仙人である呂洞賓(純陽)に翌日鳴鳳山の麓で会おうと誘われました。彼は喜んで約束どおりに向こうへ行きました。けれども、あそこで見たのはただ年寄りのおじいさんだけいて、おじいさんは縄一本で一匹の羊を引いていて、傍らに一つの鍋で芋を煮っていて、不思議なのは鍋の上に蓋ではなくてもう一つの鍋をかけています。長官は仙人のことを見ませんでしたが、そのおじいさんに話をかけてみて、尋ねようとするかと思うと眼前のおじいさんは急になくなりました。長官は失望しながら不思議と思っています。反復に考えてみれば、全てのことは仙人の仕業と分かってきました。皆さんはそのわけが分かりますか。さあー種明かしてみます。中国語では「縄」の発音は「じゅん」と似ているし、「羊」は「よう」と似ていますから合わせて読めば「じゅんよう」になるのではありませんか。さっき申し上げた仙人の名前が出てきました。また、その中国で鍋を数える場合には「こう」口という字を使われるから二つの鍋を上下に積もっているのは「呂」という漢字になったのではありませんか。それで、「呂純陽」と呼ばれるようになりました。あのおじいさんは間違いなく夢で合った仙人のことに違いありません。地方長官は喜んでそうしたことは仙人の神意だと思い込み、ここで道教の宮を建てようと決意しました。それで、1602年に湖北省武当山に位置する太和宮の建築様子を真似て、ここで太和宮を建てました。宮の中に紫禁城を造り、紫禁城の中に真武殿を配置し、真武帝を供えていました。その時から、ここは雲南省で一番有名な道教名勝地となりました。
あの地方長官と仙人と待ち合わせたところで石橋があります。それを「迎仙橋」と名付け、「仙人を迎える橋」というわけです。そこから石段階で太和宮のところまで上ります。石段階は百級余りあり、一級ごと一名の天将を意味するのです。つまり、それは天将によって、その聖の宮を見守っているのです。けれども、皆様のご健康状態をご配慮いたしましたうえ、石段階を登ることをやめて、駐車場から直接に宮に入りますから、ご安心ください。
皆さん、太和宮に入ってみましょう。これは「櫺星門」(れいせいもん)です。もとも
とそんなものは孔子廟に見えますが、明、清の時代から仏教、儒教、道教の習合が盛んでしたから、こうした配置なんて怪しいものではありません。
ここから眺めれば、紫禁城が見えます。紫は東洋文化においては尊いものとされたのですが、禁は謹厳の意味なのです。即ち、神様せめては王族などのお住まいのことです。門を潜ると金殿が目の前に映ってきました。その門、窓、瓦、及び中に供えられた神様の像ともなんでもかも銅でできているのです。新たにできたその当時黄金みたいにぴかぴか輝いていたので「金殿」と呼ばれてきたたわけです。高さは6.7mで、広さは7.8mで、深さは7.8mです。総面積は180平方メートルです。周りの壁は36枚のドアからなっています。前後にはそれぞれ十枚あって、両側にはそれぞれ8枚あります。ドアの上に竜か鳳凰のような図案が彫ってあります。後ろの壁と両側の壁には長寿の「寿」が彫ってあります。全体の重さは250トン余りで、中国では一番大きい金殿です。土台は大理石で作られたのです。石の欄干には17世紀の立派な浮き彫りが残っています。
金殿の中には真ん中に座っている神様は真武帝です。両側に仕えるのは金童、玉女です。道教の北方を管理する神様です。
金殿の外に高く懸かっている旗模様のものは道教の七星旗です。同じく純銅で作られたのです。その旗には太陽、月と北方の七星が彫ってあります。それに「天下太平、風雨調順、国泰民安」の字も彫ってあります。
七星宝剣はもともと金殿の中に懸かっていましたが、剣の刃の両端に七星の図案が嵌められてあるので、七星宝剣と呼ばれています。この珍しい剣が高く懸かれば、よく鬼を退治できるという説から真武帝の万能の宝となりました。重さは20キロ余りです。 この大刀は呉三桂が使ったものです。呉三桂のことは前日円通禅寺をご案内したごろ一応ごご紹介しましたが、彼は清の軍隊を山海関の内に率いれて、漢民族によって「漢奸」(内通者)として恨まれています。けれども、清の統治者は彼のことを信頼しませんでした。天下を獲得したあとで、「平西親王」の称号を授けて、雲南省へ左遷しました。雲南省へ来た後、お寺と宮を大いに修繕するように決意しました。それは神仏の保護を祈ることが明らかです。
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